★WINTER WONDERLAND★
洋楽、映画、読書、国際分散投資、そして心穏やかなシンプルライフ。 (新規の記事追加は http://ww.blog2.fc2.com/ で行っています)
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最近の株式投資に関する書籍について。
2005年08月25日 (木) * 編集
毎月10万円は夢じゃない!「株」で3000万円儲けた私の方法先に結論を言えば、株式投資に関するテクニックを解説した本の多くは読む価値がありません。その理由は、ちょっと考えてみればすぐに分かるはずです。

まず、本当に儲かるテクニックなるものがあると仮定して、それを簡単に他人に教えようとする人がいるでしょうか? 普通教えないと思いますね。また、仮にそのテクニックが本当に有効であるとして、それはいつまでも有効でしょうか? 知れ渡った途端に陳腐化し、後からその手法を試みても誰かに裏をかかれてカモられるだけではないでしょうか?

てなわけで、いわゆるテクニカル派と呼ばれる、たとえば株価チャートから未来の値動きを予想するタイプの書籍には近づくべきではないと考えています。もっとも、エンターテインメントとしては結構面白いんですけどね。例えばここに挙げた『「株」で3000万円儲けた私の方法』などは、ここ1年ほどかなり話題になった本で、著者の山本有香さんはカリスマ主婦トレーダーと呼ばれてあちこちのマスコミで引っ張りだこになっています。

彼女の投資手法は結構独特で、損切りの早さなど見習うべき点もあるのですが、全般的にはあまりにもファンダメンタルズを無視した危険なスタイルだと思われます。少なくともずぶの素人がほいほい真似をすべきものではありません。思うに、彼女は今やトレードよりも取材収入や原稿収入が莫大な額になっており、そういう意味でリッチな主婦になっているのではないかな? それはそれで成功者と言えますが、彼女に流れ込むお金を僕らが投じなくてはならない理由はないわけで、そこのところはきちっと線を引いていいんじゃないでしょうか。

株が好き♪―たった1銘柄の売買でも1000万円儲けられるフミエ流マル美株式投資術ちょっとタイプは違いますが、若手美人トレーダーとして人気のある若林史江さんの『株が好き♪』なども同様です。これなどは投資本というより単なるエッセイというべきで、これを読んだからといって表紙にあるように「たった1銘柄の売買でも1,000万円儲け」ることができるようになるとは思えません。まあ、彼女のルックスが好きだ、アイドルに貢ぐのと同じだろという人もいるかもしれませんが…

さて、最近の株式投資本の世界でちょっとしたブームなのがいわゆる個人のバリュー投資家による書籍です。多くの著者はホームページやブログを持っており、その中のコンテンツをまとめる形で出版されています。僕自身も基本的にはバリュー投資のスタイルを好んでいるせいかもしれませんが、これらの本の中にはなかなかいいものもあるように思われます。

謎のトレーダー「しん」の株バリュー投資法―3年間で20倍!!例えば、謎のトレーダー「しん」さんによる『株バリュー投資法−3年間で20倍!!』や、角山智さんによる『超特価バリュー株「福袋銘柄」で儲ける週末投資術―たった週1時間の分析で年利15%を目指す!』など。後者はタイトルでちょっと損をしているような気がしますし、前者も「3年間で20倍!」というコピーがマイナスイメージですが、いずれも基本に忠実なバリュー投資スタイルを説くもので、初心者が大火傷しないためにはこういう本でファンダメンタルズを見る練習を積むべきではないかと思います。

逆に最近の失敗例を。

現役大学教授がこっそり教える 株式投資「必勝ゼミ」
先日沖縄に行ったときに帰りの空港でどうしても我慢できず買ってしまったのが『現役大学教授がこっそりおしえる 株式投資「必勝ゼミ」』でした。これも基本的にはバリュー投資系なのですが、著者とちょっと趣味が合わなかったかな。彼は現在も青山学院大学で経営学を教えている人らしく、フェラーリを乗り回す趣味があるようですね。大学での講義をテープ起こししたような、やや冗長かつ過剰に親しみやすい口語体で貫かれており、めちゃくちゃ読みやすい一方、内容の深みはそれほどでもありません。高校生の頃にZ会だか河合塾だかが出していた「実況中継!○○講義」シリーズみたいな参考書を思い出しちゃいました。

彼の主張はこれまたシンプルで、

1. 東証一部上場企業であること
2. 一部純資産(BPS)が1,500円以上であること
3. 自己資本比率が75%以上であること

を満たす銘柄を、

1. いくらで買うかの基準
  「買い値はPBRが0.5以下の株価」
2. いつ買うかの基準
  「13週移動平均線の微分係数が−から+に転じる時」
3. PBRが0.5になったら、資金の半分でその株を買う。
  資金の半分は、ナンピン用に取っておく。
  そして、PBRが0.45になったら、
  資金の残り半分でその株を買増しする。(ナンピンを視野に入れた投資計画)

という戦略に基づいて買うだけで驚異的な利益率を上げられるというものです。

この種の「投資手法」的なものには、最初に書いたとおり完全に信じられるものなどほとんどありませんから、これを信じて推薦銘柄情報を教えてくれるセミナーにお金を払ったりする行為は、ある時点から宗教に近いものがあるんじゃないかと考えています。もちろん誰が何を信じるかなんて全く自由で、全てが自己責任という点で平等なのが個人投資家の気楽なところでもあるわけですけれど。

個人的には、この本、もうブックオフでお別れしました。

なぜか日本人が知らなかった新しい株の本最後に細かい手法というよりは、株式投資の考え方そのものについてかなり示唆に富むアプローチを示してくれた本を紹介しておきましょう。山口揚平さんによる7月に出たばかりの『なぜか日本人が知らなかった新しい株の本』がそれです。タイトルがハッタリぽいので敬遠しちゃうかもしれませんが、中身はかなりまともです。

どうして宝くじはダメで株式投資をすべきなのかというところから分かりやすく説き起こし、メインとなる企業価値分析の手法について解説した後に、行動ファイナンスにも触れながら最後に個人投資家に役立つ7つの習慣をまとめています。あちこちに出てくるフレーズやコラムがいちいち示唆的で、ちょっと株をやってみてるんだけどなかなか儲からない、という人が次のステージに突入するために何が必要なのかをうまく表現した本だと思います。

企業価値分析のあり方については異論もあるでしょうし、例によってここで紹介された手法ですぐに利益が上げられるわけもないのですが、立ち止まって「私は今何をすべきなのか?」を考え直すために読んでみるのもいいんじゃないでしょうか。
『痴人の愛』 (谷崎 潤一郎 著)
2005年08月21日 (日) * 編集
痴人の愛夏休みってのは読書に最適なシーズンです。実際、夏休みなんてなくなってしまった社会人の今でも、夏になると何だか「本読まなくちゃ」って気になる。新潮文庫の夏の100冊みたいなヤツをパラパラめくりながら、あれも読みたい、これも読みたいと胸を躍らせる季節到来ってなわけです。

仕事の傍ら100冊読むことは不可能に近いので、とりあえず「この歳になってまだ読んでなかったのかよ!」的なものに手をつけてみました。例えば谷崎潤一郎の『痴人の愛』

…ていうかこれ何なんですか!?
エロ小説? 時代が時代ならほとんど出版すら危ぶまれるようなヤバい本だと思うんですけど、こんな本が文学史上の名作?として時の試練に耐えてきているというこの事実。大槻ケンヂあたりかなり好きそうな世界なんじゃないか?

なんて軽く牽制しつつも実は主人公の気持ちはかなり分かるつもり。ご存知の通り、10代の妖婦ナオミに溺れ、まさに身を持ち崩していく中年男性の悲哀を描いた小説であるわけですが、世の男性なら多かれ少なかれ同情できるところがあるのではないか。実践するかどうかはもちろん別ですけど。

谷崎という人は『陰影礼賛』みたいな世界観の持ち主としてインプットされていたので、こういうあからさまな西洋人礼賛が飛び出すとなかなか意表を突かれますね。しかし日本の美的感覚を過大に持ち上げること自体が実は西洋コンプレックスの裏返しと見れば納得できなくもない。特に白人女性への異様な執着、特に歯並びの綺麗さや体臭に関する詳細な描写は、あの時代の日本人が恐らく感じないわけにいかなかった衝撃をまざまざと見せつけるものです。

本作におけるナオミのように、見初めた少女を引き取って理想的な女性に育て上げるというモチーフは古今東西あちこちに出てくるような気がしますね。独立した女性と交渉を持つことへの恐怖心の表れなのか、要するに「絶対に自分を嫌いにならない女性」を作り上げちゃおうとする精神。主人公がさかんに自身の醜さに言及して「もてるわけがない」と断ずる設定においてはリアリティを持たなくもないわけですが、個人的にはイマイチよくわからない。お前本当にそんなことでいいのかと。

しかしこうして突き放されるほどに情けない主人公の独白こそがこの小説の真骨頂なのでしょう。特に最終章に至り、ナオミが完全に支配権を獲得するあたりの如何ともしがたい情けなさは読んでいて寒気がするほど。男という生きものはどこまで堕ちることができるのか。

その答えは最終行に隠されているのでしょう。有名なラストのフレーズですが、この年齢カウントは恐らくプラス10年でも20年でも変わることなく続くはずです。本当に恐ろしいのはナオミやそこらの妖婦たちなんかじゃなくて、男の性そのものだ、ということになるのかな。
「トニー滝谷」 from 『レキシントンの幽霊』 (村上 春樹 著)
2005年08月08日 (月) * 編集
レキシントンの幽霊最近映画館で観た予告編が妙に印象的だった、村上春樹原作の「トニー滝谷」が読みたくなって、『レキシントンの幽霊』という短編集を読みました。ちなみに映画の方は、イッセー尾形と宮沢りえが主演しています。宮沢はいい女優になったなあ。結果として貴乃花は人生の選択を誤ったに違いない。逆に言えば宮沢りえの方は素晴らしい人生の選択をした。あんなのと一緒じゃロクな人生にならなかったぜ。

…えーと、何の話だっけ。

切ない物語です。
これは相当に切ない。

構成が勝負の短編小説だから、基本的に設定の工夫と展開の起伏で読ませる作品であるわけですが、トニー滝谷の誕生に至るまでの父親の半生といい、トニー自身の決定的な孤独さといい、適度にキャラクターの描き込みがなされているお陰で後半の劇的な転回が生きてくる。

それはほんの一瞬のこと。

以後、ラストにかけて、どこまでも静かな余韻を残しながらフェードアウトしていくこの短編の切なさを、どう表現すればいいのだろう。

こうして読み終わってみると、やはり宮沢りえしかいないような気がする。彼女のどこか儚げな表情や細い指先が醸し出す雰囲気は唯一無二のもので、透き通るような白い肌のイメージがこの小説のヒロインにしっくりくるのです。

孤独な日々の終わりと、真の幸せとを経験した人だけが、再び孤独に戻った時の切なさを理解する。そんな当たり前のことを表現した短編ですが、ひどく印象に残る読書になりました。
『風が吹くとき』 (レイモンド・ブリッグズ 著)
2005年08月06日 (土) * 編集
風が吹くとき戦争ものということで、今日は初めて読んだ『風が吹くとき』を紹介します。1982年英国でのベストセラーで、後にアニメーションも作られました。サントラ盤にはデヴィッド・ボウイの主題歌や、ロジャー・ウォーターズの楽曲などが収められています。

存在自体はずっと前から知っていた本だったのですが、手に取る機会がなかった上に、少しばかり恐ろしい気がしていて、なかなか近寄りがたかったというのが本音かもしれません。

絵本というべきか、漫画というべきか。童話的なコンセプトですが、内容はこの上なくシリアスなものです。登場人物は英国の片田舎に住むごく平凡な老夫婦だけ。突然始まったソ連との核戦争に、2人は政府のマニュアルに従って地下室に簡易シェルターを作ってどうにか生き延びますが、やがて原爆の放射能にじわじわと身体を侵され、死んでいくという物語です。

「政府は何年も前から予想してたはずだ、きっと何らかの手を打ってあるはずさ」と妻を励ます夫ですが、誰も助けに来ることはありません。恐らくは核の報復攻撃で、全世界は一瞬にして崩壊してしまったのでしょう。にもかかわらず最後まで政府を信じ続け、希望を捨てようとしない老夫婦の台詞は非常に辛い。

冷戦はとっくに終わり、1982年の状況とは明らかに異なる現代世界ですが、この本の衝撃は今なお有効だと思う。僕ら一般市民はいつだって国家なる暴走マシーンの犠牲にならざるを得ない存在だし、「その時」が来たら本当にどうすることもできないに違いないのだから。

放射能に蝕まれながらも、愛するパートナーと2人でお祈りを唱えつつ最後の瞬間を迎えられたこの老夫婦は、ある意味で幸せだったのかもしれません。
『文房具を買いに』 (片岡 義男 著)
2005年07月31日 (日) * 編集
文房具を買いに2003年話題になった本のひとつがこの『文房具を買いに』

文房具を買いに行ったら店員の女の子と素敵な関係になっちゃうストーリィなんかじゃなくて、片岡愛用の様々な文房具類を写真に撮り、その解説文を書くというもの。ここでも片岡のテキストはまったくブレがないんだよね。例によって翻訳調の淡々とした文体で押し通されるんだけど、ある意味お家芸だと思うだけに読んでいて痛快。だってさ、

「そしてこの均衡は、僕なら僕の気持ちや頭を、クロスワード・パズルに向けてなんの無理もなく絞り込んでくれる。」

なんていうフレーズに出会える日常なんてあんまりないよ。片岡義男の文章以外に。しかも上のフレーズは頭に消しゴムがついたごく普通の鉛筆について述べたものだったりするわけよ。

「頭に消しゴムのついた黄色い鉛筆を用いること、これが英語のクロスワードを相手にするときの、もっとも普遍的に守られるべき、基本ルールの第一項だ。」

半ば苦笑しつつ、いつもの如く片岡ワールドに絡め取られる自分を心地良く感じられる人向けのスノビッシュな舶来文房具図鑑。

***

鉛筆は、最近オフィスで見かける機会が減っている文房具のひとつかもしれない。調べたわけではないが、おそらく学校での使用機会も激減しているのではないか。小学校低学年を除けば最近はほぼ皆無かもしれない。シャープペンシルで細く薄い文字を書くのが素敵なことで、短くちびた鉛筆で太い文字を書くのはお洒落でない。そういう価値観がこの国を完全に支配してしまったのを感じる。

僕は今でもオフィスの引き出しに削った鉛筆を何本か忍ばせてあって、ときどき取り出してはシャープペンシルの代わりに文字を書いてみる。鉛筆で筆記するその感触が好きなのだ。少し丸みを帯びた先端で書き付けられる文字にはシャーペンには出せない温かみがある。六角形の木軸は軽くて手に馴染む。

確かに削り始めの鉛筆は長すぎるし、しばらくして良いサイズになったかと思えばすぐに短くなりすぎて使いづらくなってしまう。だがその過程も含めて、極めて人間的な文房具だと思うのだ。人だって最初は赤ちゃんでそこら辺におしっことか漏らしてたはずなのに、経験を積むにつれて次第に使いものになってくる。でも最後は衰えて静かに引退し、ひっそりと引き出しの隅で死期を待つ。1本1本にそんな人間的なストーリィを見出すことができる文房具なんて、そうはないのではないか。

もしあるとすればそれは消しゴムで、これが鉛筆のまたとないパートナーであるところが素敵だ。鉛筆は自らの身を磨り減らして僕らの思考を紙の上に固定し、消しゴムは自らの身を磨り減らして固定された思考を分解する。書いては消し、消しては書いての繰り返しの末に完成する一定の長さの文章は、あらかじめ僕らの頭の中にあったものではない。鉛筆を数ミリ短くし、消しゴムの体積を数%小さくする過程で新たに形作られたものだ。時間の経過と自分自身の成長が、鉛筆と消しゴムの消耗という形で明確に視覚化されている。

そんな感覚すら忘れそうになる多忙なオフィスで、僕はときどきそっとちびた鉛筆を取り出して文字を書き付けるのだ。あたかもそれを触媒としてどこからか素敵なアイディアがひらめき、こんがらがった事態を打開できることを期待しながら。
歓楽通りの渡辺昇たち
2005年07月27日 (水) * 編集
(…『歓楽通り』レビューから続く)

僕ははっとした。

これじゃ、村上春樹の「ファミリー・アフェア」という短編に出てくる主人公そのものではないか。

それは『パン屋再襲撃』という短編集に収められている作品で、どれも微妙に後味の悪い作品が並んでいるが、中でもこの「ファミリー・アフェア」に出てくる「僕」のライフスタイルは徹底している。彼の台詞のひとつを取り上げよう。

「他人のことと僕のことは別問題だ。僕は自分の考えに従って定められた熱量を消費しているだけのことさ。他人のことは僕とは関係ない。はすにも見ていない。たしかに僕は下らない人間かもしれないけど、少なくとも他人の邪魔をしたりしない」

これに対し、主人公の妹は激しく反論する。本当の大人の生活というものは、そんなものではない。もっと本音と本音でぶつかり合うものだと。あなたのように、自分の基準に合わないといった瞬間に、とたんに興味を失って一切手を触れようともしないような生き方ではないのだと。

もう少し背景を詳しく説明すると、妹と「僕」は独身の間同居していたのだが、妹が結婚することになってから2人の間がぎくしゃくし始めている。「僕」は結婚相手になる渡辺昇という男がどうにもいけ好かないし、自分の人生は目標を見失い、ビールを飲んだりたくさんの女の子と寝たりと行き当たりばったりになっている。

僕自身はこの主人公のようにたくさんの女の子と寝まくることはないが、それでも彼の価値観は痛いほどよく分かる。どうせ他人のことだから。僕には関係ない。そうやって周囲の無数の渡辺昇たちを切り捨てようとする自分が必ずいる。それでいて、誰かに一生懸命かまってもらいたい寂しがり屋の自分も必ずいる。その延長上に何が待っているのか。「ファミリー・アフェア」でも最後まで明かされることはなく、この短編の先にあるのは漠然とした不安だけだ。主人公は言う。

「良い面だけを見て、良いことだけを考えるようにすれば、何も怖くないよ。悪いことが起きたら、その時点でまた考えればいいさ」

だがそうでないことは彼自身が一番良く分かっている。そして僕自身も。

***

漠然とした将来への不安が頂点に達したとき、人は自ら死を選ぶことがあり得る。

新聞にネット心中をめぐる3人の論者の意見が掲載されていて興味深かった。中でも「2ちゃんねる」の管理人こと西村博之氏のそれは彼の聡明さをはっきりと示している。「ネット自殺」問題の原因を2ちゃんねるに代表されるネット掲示板に結び付けようとするインタビュアーに対し、ネット社会で孤立する若者が増え、仲間を募って自殺に走っていると見るのは間違いだと答える。日本の自殺者が年間3万人に達する中、いわゆるネット自殺はせいぜい数十人だと。ネットでなくとも、携帯電話でも文通相手でも一向に構わないのだと。

彼が突き抜けているのはこの後だ。

「ぼく自身は自殺をしようなどとは考えたこともない人間ですが、自殺についての知識は、自殺を考える人には、救いにもなるものだと考えています。ぼくの考え方は社会的なコンセンサスからは、ずれているかもしれません。でも、本当に毎日が苦しくて死が解放だと信じている人が『死にたい』と言うのは、誰にも止められないのではないかと考えています」

「例えば、借金苦とか経済的な理由で自殺に追い込まれる人たちを止めたいのであれば、その人の生活を支えてあげる行動をとればいい。それなのに、そうした行動はとらず、ただ『死ぬな』とだけ言うのは、ひきょうなことのように感じるのです」

よく言った。きれいごとを並べて「自殺はとにかく悪だ」とか言ってるオトナたちより、僕は圧倒的に西村君を信じる。

彼が僕より6つも年下の76年生まれであること、さらに次のような台詞を続けていることを思うと、「ファミリー・アフェア」など読んでる場合じゃないことがよく分かる。僕は30年以上も、いったい何をしてきたのだろう。

「いまの日本は、命を軽く見る方向に動いていますよね。例えば日本政府はアメリカのイラク爆撃を支持した。あれって『イラク人は殺してもいい』といっているようなもの。それを国家が支持している。国家はなんのために戦争をやるかというと、最終的には自国の利益のためにやっている。命の大切さを教えないほうが、国家としての政策はうまくいく。そんな国益が前面に出て、個人は背景に追いやられようとしている。『ネット自殺』よりも、こうした現実のほうがずっと大きな問題だと感じています」


***

僕はスライ&ザ・ファミリー・ストーンのベスト盤を引っ張り出すと、"Family Affair" をかけながら、漠然とした不安とやらに包まれて、深い闇に落ちていった。
古本愛
2005年07月17日 (日) * 編集
古本道場吉祥寺のブックオフに行ってきました。話題になっていたので買ってみた株式投資本が(ほぼ予想通りだったとはいえ)残念な内容に終わったことから、読み終わった新書やリマスター盤へ買い替えた古いCDなどと共に売りに行ったのです。

しばらく前に出かけた時には1階しかなかったような気がするのですが、出かけてみると2階部分もオープンしており、合わせると膨大なスペースで中古書籍・CD・ゲームの販売が行われているのでした。一体どこから湧いてきたのだろうと思わせる古本の山は、きっと多くの家庭から「捨てるよりマシかも」程度の気持ちで売られてきたのでしょう。事実僕の本たちも合わせてたったの490円で買い取られてしまいました。しばらくするとこれらに750円とか500円とかの値札がついてお店に並ぶに違いないのです。

古本的ブックオフが出来てから、古本屋のイメージは大きく変わりました。本の内容に価値を見出すのではなく、いかに新品に近いかという保存状態に重きを置いた高速査定。買い取った本を綺麗に拭き、ジャンルごとにレイアウトし、あたかも普通の本屋さんで探すのと同じような感覚で買えるシステムです。(店員たちがマニュアルに基づいて叫びあう「いらっしゃいませこんにちはー」という呪文だけは勘弁してほしいんだけど)

このシステムには功罪あって、105円均一コーナーなんかにはお世話になっている自分だけれど、やっぱり微妙な喪失感を感じることもある。それはかつて僕が「古本屋」めぐりをしながらたくさんの本と出会ったシチュエーションとはあまりに異なっているからで、昔の古本屋的なものにノスタルジーを感じているのかもしれません。

「古本には時間がつまっている」とはいい言葉だと思います。刊行サイクルが短くなり、あっという間に書店の店頭から消える本が増える中で、たまたま古本屋でめぐり合って購入し、その内容に深く影響を受けるという経験をしたことがある人は、古本への独特の愛情を共有しているに違いありません。

古本買い十八番勝負日経新聞読書欄の「活字の海で」というコラムに、「古本愛」を語る本が相次いで出版されているという記述がありました。紹介されていたのは、作家の角田光代さんがフリーライターの岡崎武志氏を「古本道の師匠」に、古書店をまわって古本を購入する様子を描いた『古本道場』(ポプラ社)、評論家の坪内祐三氏による『古本的』(毎日新聞社)、作家の嵐山光三郎氏が古書店で仲間と繰り広げた名著発掘勝負について記した『古本買い 十八番勝負』(集英社新書)など。

この中で言えば、角田さんのいう「どの古書店にも独自の体温がある」というコメントに共感しました。逆に言えば、ブックオフにはお店ごとの独自の体温が感じられないのです。微妙な違和感、喪失感の根源はきっとここに違いない。買い取りで手にした490円を手に、今度は別の古本屋さんをめぐって本を探してみよう、と思ったのでした。
『受難』 (姫野 カオルコ 著)
2005年06月29日 (水) * 編集
受難まずは文庫裏表紙の紹介文を読んでみてほしい。

修道院で育った汚れなき乙女フランチェス子のオ×××に人面瘡がデキた! 「お前はダメ女だ」と朝な夕なに罵倒する人面瘡を、けなげにも "古賀さん" と呼んで共同生活をするフランチェス子の運命やいかに? 極北の笑いと奇想天外な物語の裏に、現代人ジェンダーを見つめる醒めた視線が光る、著者の代表作。

…ということです。ぜえぜえぜえ。

行きつけの図書館で文庫の棚を通りすがりに全く何気なく手に取った本に、これほどハマるとは思わなかった。初めて読んだ姫野カオルコ本ですが、これほど大変なことになっているなんて、自分はひょっとしてものすごい鉱脈を掘り当ててしまったんじゃなかろうか。

なんて、ちょっと大げさに騒いでみたくもなるわけですよ。「フランチェス子」に「古賀さん」、さらにはモア代とオリ江とノン子とウィズ美、加えて双子のマルとクスなんていうネーミングの妙はまだまだ序の口。サブカルチャーものを中心に膨大な知識に裏打ちされた博覧強記ぶりを、決して押し付けるのでなくさりげなく会話の中にすっとぼけて挿入するセンス。

特にセックス/ジェンダーものに関する視点の鋭さはタダモノではない。自分もできれば一度もセックスしたことのない年頃にこの本にめぐり合いたかったものだと本気で思いましたYO、読み終わった瞬間に。宗教的カタルシスを伴って神々しいまでの大団円を迎えるラストには、「ええ話やないか…」と素直にプチ感動しちゃいましたよ全く。

個人的にはエロオヤジの如き人面瘡「古賀さん」とフランチェス子の間で幾度となく歌い交わされる、筋肉少女帯の『踊るダメ人間』(名盤ミニアルバム『断罪! 断罪! また断罪!!』に収録)の替え歌(ダメ女)が頭から離れなくなって困っちゃったよ!(笑)
『夏への扉』 (ロバート・A・ハインライン 著)
2005年06月23日 (木) * 編集
夏への扉「英国プログレ御三家」を選べと言われたら結構悩みそうです。イエス、キング・クリムゾン、ELPあたりかな? ジェネシスはちょっと違う気もするが、ピンク・フロイドを入れたい人もいるかもしれないし。そこへいくと「古典的SF御三家」は割とすんなり「アシモフ、クラーク、ハインライン」に落ち着くのではないか。『夏への扉』はその中の1人、ロバート・A・ハインラインの名作のひとつです。

大雑把に分類すれば「時間旅行もの」になりますが、サイエンス的な矛盾や混乱は筆者自身も認めるところ。本作はガチガチのSFとして捉えられるべきではなくて、あくまでも「小説」として楽しむべき1冊でしょう。青春小説だし、冒険小説だし、切ない恋愛小説でもある。そして忘れ難い脇役として、猫のピートが実にいい味出してるのです。猫好きなら絶対外せないSF。

「未来」に希望が持てない人。心が「冬」の状態にある人。「あの時代に戻ってやり直したい」人。そんな人たちにオススメです。もちろん21世紀になった今日でもタイムマシンは発明されなかったわけですが、主人公の技術屋ダン・デイヴィスの時間旅行にハラハラしながらページをめくれば、ラストで幸福な気持ちに包まれることを保証します。

福島 正実さんの翻訳は暖かくて読みやすい。さすがに70年代の訳ですから古くさい表現なんかも出てきますが、これが今風の若者言葉になったりしたら興醒めしちゃうんだろうな。これはこれでいじらない方がいいのかもしれませんね。

猫のピートが探し続けた「夏へと通じる扉」のことを、僕らは時々忘れそうになってしまうけれど、ピートのように最後まで希望を捨てなかったダンにはあんな素敵な世界が訪れるわけで。要するに未来を自分の側に引き寄せて夢を実現するもしないも自分次第、どれだけ真剣になれるかにかかってるんだよ、ってことなのかな。
『永すぎた春』 (三島 由紀夫 著)
2005年06月21日 (火) * 編集
永すぎた春『永すぎた春』というタイトルは決してポジティブな印象を与えません。それも若い2人が学生の身分で過ごす婚約期間をテーマにした小説のタイトルであればなおのこと。

でもこれが、絶妙に軽妙でしかも巧妙なストーリィテリングなもんだから、却って玄妙な味わいを醸し出しているあたりが微妙に面白い。ある意味三島とは思えないくらい軽いタッチで読ませてくれる小説で、好き嫌いは分かれると思うけど、自分は大いに気に入った。

T大法学部の郁雄と大学前の古書店の娘・百子の1年3ヶ月に及ぶ婚約期間。家庭間の軋轢や男の浮気、女の浮気(いずれも可愛いものですが)など2人を襲う試練の数々。それがいずれもユーモアを交えてひどくライトに描かれるもんだから、コアな三島ファンは拍子抜けしちゃうってことなんだろうな。

でも力の抜けたドタバタ恋愛劇ってのはいつだって最高なのですよ。一方で併読していた『愛の渇き』は息苦しいったらなかった。主人公の女の嫉妬心や彼女を取り巻く田舎の人々の下世話すぎる心情などを徹底的に冷静に描き尽くした構築美は、見事というほかありません。がしかし一点の隙もないが故に面白みもなかった。「観念的な作家」としての三島由紀夫氏の自己定義を限界まで推し進めた作品とも言えそうです。

まあ個人的にはその昔ニフティサーブでパソコン通信をやってた頃に「愛の渇き」さんというハンドルネームの方がいて、しかも彼が「るな先生」さんという人と結婚してしまったことの方が強烈に記憶に残っていたりするんですけど。「愛の渇き」さんって凄い名前だよな。しかも彼は猛烈にCD/レコードを買いまくる(=自爆する)ことで知られていました。ある意味自分の中で伝説的な存在。

どうでもいいか。
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